再建が絶望から私を救い出してくれたのです
*2024年10月発行 写真集『New Born -乳房再建の女神たち-』(撮影:蜷川実花、企画:NPO法人E-BeC、発行:赤々舎)に収録しているモデルの経験談「わたしのストーリー」より
大阪府 N.Eさん(69歳)
手術方式:一次一期再建(自家組織)
・乳がん手術
2017年4月 右乳房皮膚温存乳房全切除術
執刀:大阪公立大学医学部付属病院 乳腺外科 高島勉先生(当時)
・乳房再建手術
2017年4月 腹部穿通枝皮弁(右)
執刀:大阪公立大学医学部付属病院 形成外科 元村尚嗣先生
・乳頭乳輪再建手術
再建はせず必要があれば人工ニップル使用
・乳がん治療
術前治療:なし
術後治療:ホルモン療法(アリミデックス5年)
乳がんの宣告を受けた日は、間違いなく人生最悪の日でした。命の限界を目の前に突きつけられた気持ちとともに、片方の胸を失う悲しみにおののき、絶望しました。
臨床心理学を学ぶために20代で渡米し、10年の時を過ごす間、20代のクラスメートや年上の知り合いが乳がんになりました。彼女たちが見せてくれた手術痕は、なにもない胸、というものではなく、ひきつれてシワになり皮膚が大きく波打っていました。その光景は彼女たちの深い悲しみとともに目に焼きつき、自分の乳房が好きだった私は、「次は私の番かもしれない」と、トラウマになってしまったのです。
帰国後結婚し、フリーランスの通訳・翻訳の仕事を続けていた62歳のある日。アナウンサーの小林麻央さんの乳がん報道を見聞きし、気になって乳房のセルフチェックしたところ、違和感があったのです。翌日、乳腺クリニックで検査すると小さいしこりが見つかり、さらに大きな病院で調べたところ、しこりが3つ並んでいることが分かりました。
乳腺外科の先生から、しこりは悪性で乳房温存の選択肢はありません、と告げられた瞬間、20代に見た傷あとがフラッシュバックしました。「ああ、来ちゃったのか!」。
絶望の淵にいる私に先生は続けて、同時再建の話をしてくださいました。私のふくよかなお腹をご覧になって、「そのお腹いりますか?」と、ユーモアを交えておっしゃって。「??? あ、いらないです」と答えると、「乳房を取った分量だけお腹をこちらに移動することができますよ。しかもとても上手に作ってくれる医師がいます」。その言葉に、暗闇の中に一筋の光を見た気がしました。
こうして乳がんの手術と同時に、お腹の組織を移植する手術を受けました。目が覚めた時からふくらみがあって、20代に怖れていたことは起こりませんでした。
術後から3日間は身動きが取れないほど痛かったのですが、夜中も懐中電灯を持って診に来てくださる形成外科の先生が光り輝いて見え、なんてありがたいんだろうと思いました。
あれから7年経ち寛解した今も、再建した乳房はほとんど変わりません。お腹の傷も、乳首があったところに見えているお腹の皮膚も、よく見ないとわかりません。乳頭乳輪は人工ニップルをセミオーダーし、左乳首のそっくりさんを作ったので、人目の問題はクリアできています。
「右のおっぱいはお腹だから、太ると大きくなっちゃうので気を付けて」と先生から言われていましたが、コロナ下で太ってしまったとき、本当に右だけ大きくなって。慌ててジムに通って少しやせると元の大きさに戻りました。人間のカラダって神秘ですね。
がんを取ってくださった先生と乳房を作ってくださった先生には感謝しかありません。自分の乳房を見せるのは恥ずかしいですが、乳がんの宣告を受け、打ちひしがれている方に見てもらい、少しでも希望を持っていただくことに繋がれば、こんなに嬉しいことはありません。
2024年5月 インタビュー:山崎多賀子