「新しい胸とともに新しい道もできる。そのために与えてもらった乳房です」
大阪府 OCさん(53歳)
手術方式 : 「一次一期再建」 (乳がん手術と同時に自家組織で再建)
・乳がん手術 : 2006年10月 左乳房温存手術
執刀・田仲北野田病院 田仲勝医師
2007年1月 左乳房全摘手術
執刀・大阪大学病院 玉木康博医師(現在は大阪府立成人病センター)
・乳房再建手術 : 2007年1月 乳がん手術と同時に「広背筋皮弁法」による再建
執刀・大阪大学病院 矢野健二医師
術前治療 : ホルモン剤(手術の数週間前からノルバデックスの服用を開始)
術後治療 : ホルモン剤(ノルバデックス5年間)
多感な年ごろの娘たちの気持ちを思って再建を決意
46歳の夏のある日、外出先から戻って胸元の汗を拭おうとすると妙なしこりに触れました。すぐに近くの病院で細胞診を受け、良性といわれたのですが、医師から「少し気になるので・・・」といわれ、3カ月後に受けた再検査では悪性とのこと。素人目にもわかるほど、マンモグラフィの画像に写った腫瘍は急速に大きくなっていました
10月に患部をくり抜く温存手術を受けましたが、術後の病理検査でがん組織がさらに広がっていたことが判明。もっと大きく切除する必要があるからと、乳房再建も受けられる大阪大学病院を紹介していただきました。ところが再度の検査で腫瘍はさらに拡大していることがわかり、迷わず全摘手術を受ける決意を固めました。
再建までは考えてはいなかったのですが、2人の娘は当時まだ小学校4年生と5年生。多感な年ごろであることを思うと、やはり胸は作っておこうと決心。お世話になったお医者様がどなたも親身に対応してくださり、ひとつの不安もなく手術に臨むことができました。
とてもきれいな乳房に! チャームポイントをつくっていただきました
ただひとつ辛かったのは、いつも親子くっつくように過ごしていた娘たちと離れることでした。できれば入院はこの1回だけにしたいと思い、自家組織での一期再建を希望。痩せ型で血管も細く、腹部の脂肪を使うのは向いていないとのことで背中の筋肉を使って再建していただきましたが、再建した乳房のほうが若々しくてきれいなくらい! 初めて自分のチャームポイントができたような思いです(笑)
手術の4カ月後には温泉にも行き、自分でもまったく気にならず、周囲に気づかれることもありませんでした。乳頭・乳輪は1年後に健側の乳頭を移植する形で再建。背中の傷もだんだん目立たなくなってきており、たまに少し突っ張ることはありますが、日常生活で困ることはまずありません。
乳がんになって、私は初めて自分の人生について考えることができるようになりました。乳腺外科の主治医に、「いままで家族のために頑張ってきたけれど、これからは自分自身のために好きなことをして生きればいいんですよ」とおっしゃっていただいた言葉がどれほど嬉しく、有難かったことか・・・。
再建ができるのも早期発見があればこそ・・・と始めた啓発活動
その言葉を支えに、手術直後から、乳がんの早期発見の大切さをお伝えする活動を始めました。入院していたとき、病室で隣り合わせた20代後半の患者さんと仲良くなったんです。傷の痛みや心のうちを分かち合い、「退院したら何か人の役に立つことをしようね!」と約束。大阪・富田林の花火がみえるから泊まりにきてねと話してもいたのに、どちらも果たせぬまま、彼女は同じ年の夏に亡くなりました。実はすでにかなり進行した乳がんだったのです。
自分のがん告知にも泣かなかった私が、このときは数カ月ものあいだ涙にくれて過ごしました。でも知り合いの保健婦さんから、「彼女の遺志を継ぐためにも、伝えるべきことを伝えていかない?」と背中を押され、地域の子育てサークルをベースに活動をスタート。少しずつ活動エリアも広がり、4年前からは市のイベントでお話しする機会をいただくまでになりました。
「私だったから乳がんになった」。私はそう思っているんです。転んでもただでは起きない大阪のおばちゃんですから、何かあれば黙ってなんかいません(笑)。再建ができるのも早期発見があればこそ。新しい胸ができれば、また新しい自分の道を見つけてもいける。そのことを皆さんにお伝えしていくために与えていただいた、この乳房なのだと信じています。
*インタビュー記事は個人の体験談に基づく感想で、E-BeCで推奨するものではありません。体験談は再建を考える際の参考にしていただき、主治医や医療者とよく相談をして決めるようにしてください。
(取材2014年7月)